昭和~平成初期にかけて栄華を誇ったこの柳ケ瀬商店街。
全盛期は百貨店の数も名古屋を上回り、週末は買い物客で賑わう全国に名がとどろく有名商店街となりました。
しかし、バブルの崩壊以降、百貨店やファッションビル、大型商業施設の撤退が相次ぎました。これは岐阜駅前エリアでも同様ですが、この柳ケ瀬地区でも
1999年:近鉄百貨店閉店
2000年:郊外型ショッピングモールカラフルタウン開業
2002年:長崎屋閉店
2004年:センサ閉店
2004年:やながせ倉庫オープン
2005年:路面電車の廃止
2006年:郊外型ショッピングモールモレラ岐阜の開業
2008年:郊外型ショッピングモールマーサ21リニューアル
2008年:やななの誕生
2009年:岐阜メルサ閉店
と2000年からの10年間で街の中核を担う施設が多数閉店し、残る大型商業施設は岐阜高島屋のみとなりました。その間、岐阜市周辺部に大型商業施設の開業も続き、柳ケ瀬商店街に来る買い物客はどんどん減少の一途をたどったという流れがありました。
そのため、2010年前後というのはこの柳ケ瀬商店街としても非常に先が見えない厳しい時代であったと聞いています。そんな中その状況を変えたいという想いから所謂ご当地ゆるキャラのやななが誕生したのもこの時期です。そして、現在では柳ケ瀬のスポットの一つとなったやながせ倉庫が誕生したのもこの時期でした。
2011年:旧メルサ跡にドンキホーテ入店
2011年:ジュラシックアーケードイベントスタート
2013年:やなな引退、やながせゆっこが商店街の公式マスコットガールに
2014年:サンデービルヂングマーケットスタート
2015年:やながせ倉庫団地オープン
2016年:柳ヶ瀬を楽しいまちにする株式会社設立
2017年:ロイヤル40オープン
2018年:旧センサ跡地に大型マンション建設スタート
2018年:高島屋南商店街エリア再開発事業スタート
2019年:柳ケ瀬青年部活動スタート
2019年:リノベーションスクール事業スタート
2010年を過ぎると街を盛り上げるためのイベントが企画されるようになりました。
特に今ではイベントの度に一日で4000人以上の集客を果たすようになったサンデービルヂングマーケットもこの時期にスタートしました。こうしてイベントで集客を果たすようになり、少しずつではありますが、新規創業者も増えてきました。
また、着実にファンを増やしていったやながせ倉庫では倉庫団地という委託販売のコーナーができ気軽に自身のハンドメイドアイテムを販売できるようにもなりました。このやながせ倉庫とサンビル出店を通じて、若手クリエイターの表現の場づくりを行ってきました。
その結果とし、ロイヤル40というサンビルに来る顧客をターゲットとしたクリエイタースポットもオープンしました。そして、そのロイヤル40が入るロイヤルビルの中には、BLUE BLUE、四角商店という新しいテナントも入居し、非常に賑わいが増してきました。
また、そうした動きとはまた別に、岐阜市が展開する空き店舗補助金を活用し出店し、柳ケ瀬に根付いてきた店舗も多々増えてきました。
私が経営するSATSUKI TAILORがレンガ通り(南)の旧店舗に出店したのが2016年1月、そのちょっと前の2015年に同じ通りにとんかつの三和が移転オープンされました。今では柳ケ瀬のランチに欠かせない存在ですね。食事処では、アイリッシュパブのルーザーズ、インドカレーのナマステグルなど個性的な飲食店も増えてきました。地道な市の補助の成果と言えると個人的には思っています。
他にも、やながせ倉庫絡みで古道具のmokkumokkuや古着屋キカザルなどなど新しい魅力ある店舗も着実に広がっています。
苦しかった2000年からの10年間、新しい芽が見えてきた2010年からの10年間。
それを踏まえて次の2020年からはどんな街になっていくのか。
まさしく、ここでの取り組みが今後の柳ケ瀬を左右することは間違いないでしょう。
それを踏まえて今後の柳ケ瀬商店街についてはまた別の機会にご紹介しましょう。